ある先生に「どんな想いをもって、子供たちと関わっているのですか?」と尋ねたら、「将来、自立した大人になってほしいと思って仕事してます」と答えました。
私はそう考えたことはなくて、結構先のことを見据えて教育を考えているんだなあと感心しつつ、「じゃあ先生は、その自立した大人になるためには何が必要だと考えて、具体的にどんなことをしているんですか?」と尋ねました。
そしたら、「・・・わかりません。・・・特に何もしてません。」ですって。
ますだおかだの岡田さんばりに「ワオ!!!!!」と叫びたい気持ちにかられました。
私はこの仕事をするにあたり、そんな高尚な理念は持ち合わせていなくて、ホームページに掲載していることを考えているのですが、端的にいったら、「成績が上がって喜ぶ顔がみたいなあ」と思って仕事しています。よくいわれているようなことですが、これが自分の素直な気持ちなので仕方ありません。
今回のテストでも、「こんな点みたことない」「ここまでの点数はさすがに考えてすらいなかった」とうれしそうな表情をみることができると、よかったと思うのです。
「人格教育!」とか「夢を育む!」とか、勉強できることより大切なことがある、と言われればその通りだとは思いますが、私はそっち方面の理念は選択することはできません。自分の仕事の評価軸をどこにおいたらいいのかがわからないですし、なんかうさんくささを感じてしまいます。教育者側が多くの人が慕うすごい人格者で、夢を実現した人だったらいいと思いますが。
でも、親の立場だとしたら、当たり前ですが、学校の勉強さえできていればいい、なんて考えはしませんよね。たぶんほとんどの親が冒頭の先生の言う通り「自立した大人になってほしい」と思いをもっているはず。私もそう思いながら、試行錯誤して子育てしています。「将来も、自分に依存する大人になってほしい」なんて思う親はよほど屈折した人でないかぎりいないと思います。
だから、「自立した人間とはどんな人間を指すのか」そして「どうしたらその自立した人間に育てることができるのか」を考えなければいけないと思います。考えて自分なりに定義づけしなければ導くことはできないからです。思考なしに「自立」を掲げたって、ただただ空虚です。そんな簡単に答えがでるものではないですが、共に考えていきましょう。