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席替え理論と今日は息子の誕生日

中学の時に教務主任の理科の先生が何気なく言った言葉を、今になってもときどき思い出すことがあります。

理科の授業が始まるとき、先生が教室に入って「なんでみんな少し浮かれているんだ?」そういいました。

ある子が「次の時間に席替えがあるんです。」と答えます。

それに対して「席替えかあ。みんないい席になれたらいいな、仲のいい子と隣になれたらいいな、そう思っているんでしょ。でもね、実際にやってみるとそれほどいいものでもなかったりするよ。

と言ったのです。クラスは沈黙し「なにわけのわかんないこといってんだ、このおっさん」という空気が流れました。でも私の心にはぐさぐさっと刺さってきて、おねむだった頭がしゃきーんとなったのを覚えています。

「たしかに先生の言うとおりだ。これまで席替えがあるとわかるとわくわくしていたが、実際に席替えをしてみるとそこまでいいものではない。なんだこれは?どういうことだ?」

私は先生の言った言葉が離れず、ずっと考えていました。そして席替えの時間を迎えます。

結果、ふーんこうなったか、そんな感情が湧くだけで、よっしゃ!なんて思いませんでした。

もちろん、席替えで好きな子の隣になれたらうれしかったりしますが、でも違う。初めのわくわく感を満たすほどのものではありません。

で、私は思ったのです。「何だ。これは人生全てに当てはまる普遍の真理ではないか」と。

これはよく考えれば、その通りで、

プラトンだったか誰か忘れましたが「完璧な正三角形は概念の世界でしかない」みたいなことをいっていたような気がします。現実の世界で完璧な正三角形を表そうとした時点でそれは完璧な正三角形ではなくなる、そんなようなことをお偉い誰かが言っていたと記憶しています。

これと同じように理想の状況を頭の中に描いた時点で、現実はそれに及ぶことはないので、ちょっとした満たされない感が残ってしまうのですね。小説の後、映画化されるとその映画をいまいちに感じることが多いですが、それに似ているのかもしれません。

中学1年生の時に先生からもらったこの気づきは、私の中で「席替え理論」と名付けて、何か期待感を持つ時にはこの席替え理論に当てはまるのかどうか、検証する癖がついてしまいました。彼女とデートするとき、高校に入学するとき、大学に入学するとき、他にも色々(あんまり書くのは良くない気がしてきました)。結局、「あ~こんな感じなのね・・・」という感情が湧いてきてしまう。席替え理論に当てはまってしまうのです。

この理論の気づきを与えてくれた先生はあのときどういうことを考えていたのだろうか。先生もあの発言を何気なくされたのでおそらく覚えていないでしょうが、ご本人にお聞きしたい。

ところで、私の人生においては全てに適用される不変の真理「席替え理論」ですが、23歳のとき初めてこの席替え理論が適用されないケースに遭遇しました。

それが、

我が子の誕生です。

私にはお姉ちゃんと弟の二人の子供がいますが、二人とも私が頭で描く理想がそのまま現実になった感じです。

もちろん、客観的に我が子を見ると顔がすごくいいというわけではないですし、勉強がもう少しできたらいいな、とか、もっと速く走れるといいな、とか思ったりもします。それに一緒にいて腹が立つことだってあります。

そういうところを個別に見ていくと不満があるということになるのかもしれませんが、それでも全部をひっくるめて完璧、100点満点と思えるのです。この子たちが自分の子供として生まれてきてくれてよかった、この子たちでよかった、理想そのままだ、これは心からそう思います。

私は子育てがはじまったとき、常に違和感を感じていました。それは子育てが初めてだから戸惑っている、というのではありません。はじめて「席替え理論」に当てはまらない現象が起こったので、え?本当にこれでいいの?真理から外れていないかい?という戸惑いがゆえです。

毎年子供の誕生日を迎えると、必ず「席替え理論」を思い出して、検証してしまいます。でもやっぱり当てはまらない。「ま、こんな感じか」なんて思わない。

だから私にとって子供の誕生日は「お誕生日おめでとう」というよりは、「私の人生の普遍的真理を覆してまで、私のもとに生まれてきてくれてありがとう」という気持ちが強いです。これは本当にありがとう。

これから先、他に「席替え理論」に当てはまらない現象は起こるのでしょうか?ぜひ起こってほしいです。意外性って人生の面白いところでもあるわけですし。

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