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アイデンティティは固定化しない

日曜日に3人の人から職業を聞かれる機会がありました。

私は、職業は基本的に秘密にしているので、「すみません、職業は秘密なんです」と言うと、一瞬空気が止まります。相手の方も職業は答えてくれるものであるという期待があるので、少し気まずい空気になります。

職業というのは自分が何者であるかに深く関わっていると思います。私は「自分は○○である」とアイデンティティを固定化したくないので、自分のために言わないようにしています。

田原の知り合いは私が塾の先生をしていることは知っていますが、東京の知り合いは私が何をしているか知りません。戦国時代の眞田の血が流れている奴だ、くらいの認識です。私がそういう考えだから、私も何をしているのか聞かないので、一緒にちょくちょくご飯行く人でも職業を知らなかったりします。

他には、私の仕事は「先生」と呼ばれるような仕事なので、こんな未熟な自分が「先生やっています」というのが恥ずかしい気持ちがあります。私が「先生」と聞いて想起するのは孔子先生です。

孔子先生はこうおっしゃいます。

「三十にして立つ。」

「四十にして惑わず。」

う~ん。33歳の私はこう言える孔子先生には全然及ばないです。及ばないというか足元にも立てていません。1万回生まれ変わったらこの境地に達することができるのだろうか??それすらもわからないくらいです。

先生の言葉に触れるとただただ自分の未熟さを痛感するだけなのですが、少しでも先生に近づけるように生きていきたいです。

先生と聞くと、どうしても孔子先生がイメージされてしまうので、それが気が引ける要因にもなっていると思います。

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